旅の記録 オホーツク探検隊

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今から15年くらい前、当時はプロサーファーとしてコンペに出場していたのですが、一試合出るために遠征費やエントリー費で毎回10万円くらいのお金を使っていました。

高校生からコンペに参戦していましたし、アマチュアからプロに昇格したり、世界選手権に出たり、技術を武器に戦略を駆使して競い合う世界もそれはそれで楽しかったのですが、パタゴニア働き、さらにアンバサダーの玉井太朗さんと一緒にサーフィンするようになってから徐々にコンペに対するモチベーションが無くなってきました。

低気圧の動きを予測し、現地の友人と連絡を取り、行くと決めたら速攻でチケットその他を手配し、クラシックな日の夜明け、その場所にいる。

競い合う事だったり、乗ってからの技術とは無縁の純粋な波への情熱。

影響を受けた私は、「コンペ1回に使う10万円よりクラシックコンディションでの1本に10万円を使おう」と決心しました。

そんな旅の記録をこれから少しずつ紹介していきたいと思います。

前置きがとっても長くなりましたが、2008年の11月にオホーツクに行った時の記録をスライドショー感覚で展開してみますので、良かったらのぞいてください。

Haneda to Chitose

これは2回目か3回目の知床探検でしたが、仕事を少し早めに切り上げ飛行機に飛び乗り千歳に降り、そのまま電車で小樽に行ってビジネスホテルにチェックインして、その翌日に太朗さんとオーム君に拾ってもらい一路オホーツクを目指しました。

オホーツクには暗くなってから到着しましたが、波の音がしっかりしていたので一安心。

夜が明けて見ると期待していたポイントはまだクローズ気味。

他のポイントを探しに海岸線をパトロールしに行く事にしました。

このポイントは、はるか沖合から始まるメローなレフトがインサイドまで続いていました。

このポイントはさらに沖にピークが出現していましたが、あまりにも遠いので今回はパス。

そうこうしているうちに海も落ち着いてきたので、最初のポイントに戻る事にしました。

レフトはまとまってきており十分ライダブル

チャンネルを挟んだ反対側のライトも絶好調!

わかりにくいですが頭半はあってサイズも十分でレフトもライトも100メートル以上乗れそうです。

当時ハマっていたハルボトムの7’2を持ち込み、待ちに待った波に飛び込みます。

この時期のオホーツクは3時半には暗くなるので、上がったら温泉と食事を済ませて早めにテントを貼ります。

別にキャンプサーフィンにこだわっていた訳ではなく、近くに宿なんか無いのでキャンプ一択です。

翌朝目覚めると太朗さんは夜明け前に起きて撮影をしていました。

この美しい瞬間に対する嗅覚、そして記録する努力を怠らないからこそ、良い写真が残るのですね。

この旅のさらに数年前、同じメンバーで襟裳岬に行ったことがあります。

ニセコを昼過ぎに出発し襟裳岬に着いたのは夜中の12時くらいでした。

真っ暗な波の音だけ聞こえるアポイ岳周辺の海岸で太朗さんは「岬の反対側も気になる」と言い出しました。

夜明けまで待てない性格なので私は何も言えなかったのですが、その時はオーム君が「もう寝ましょう」と言ってくれました。

太朗さんの恐ろしいほどのコミットメントを垣間見た瞬間として今でも鮮明に覚えています。

話を旅に戻します。

夜明けのグットコンディションを堪能したあと、またまたポイントチェックを再開。

そうです、知床探検隊は波に乗るだけでなく、開拓する事も重要な使命?なのです。

この日初めてチェックしたのはカウアイ島のキャノンズのような波で、そこぼれしたピークから始まってレフトが伸びてました。

岬に沿って割れる美しいレフトのポイントブレイク

ヌーサのレフト版のような波質でロングボードで滑ったら最高に楽しそうな波でした。

Peak with nameless

そうこうしているうちにサイズもさらに下がり風も入ってきました。そろそろ撤収の時間です。

今回の旅もサーフィンは2ラウンドのみ

旅の間、他のサーファーにも、サーフボードを積んでる車にも出会わない、とても静かな場所でした。

北海道に限らず日本にもまだまだ未開のスポットがあります。

そういう場所にこっそり出かけて、あるがままの自然の一部に溶け込み、出会った波とも一体化する。

ニセコに戻る途中の連峰は雪化粧されており、ニセコに戻ったら早速スノーボードが出来そうです。

皆さんも良い旅を続けてください!

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